1984年のファミコンの総括 [ゲーム関連記事]

1984年のファミコンの総括

1984年のファミコンソフト

1984年発売のファミコンでは「ロードランナー(ハドソン)」、「ナッツ&ミルク(ハドソン)」、「ゼビウス(ナムコ)」、「マッピー(ナムコ)」が良かったと思います。

1984年のゲームの内、最も高い評価を付けたのは「ロードランナー」で34点。次が「ナッツ&ミルク」で30点。ハドソンのゲームが並ぶ結果になりました。「ナッツ&ミルク」の評価が高いのは発売時期が良かった事もあると思います。それまでのゲームが散々なところで出て来た作品ですので。これが「ロードランナー」の後だったら30点の少し手前の点数だったかも知れません。

「ゼビウス」の評価点に関しては18点と低い点数になりましたが、姫に合っていなかったと言うだけで悪いゲームではないと思います。他のゲームと比べるとそう見えます。

1984年のゲームの内、最も低い評価を付けたのは「F1レース(任天堂)」で、評価点は1点でした。F1の要素がほとんど含まれていない状態でF1を名乗っている不思議なソフトです。姫は未だにこのゲームのどこがどうF1なのかを理解出来ないでいます...。

他のゲームメーカの参入

今まではファミコンのゲームメーカーは任天堂だけでしたが、1984年と途中からハドソン、ナムコと言う他のゲームメーカーが参入して来ました。

ハドソンは「ロードランナー」、「ナッツ&ミルク」を出していて、両方とも面白く遊ぶ事が出来ました。

4人打ち麻雀(任天堂)」は任天堂から発売されていますが、開発元はハドソンがのようです。あの「麻雀(任天堂)」を作ったメーカーにしては基本的な部分がきちんと作られていたので不思議に思ったのですが、発売元と開発元が違うと言う事で納得しました。

ナムコは「ギャラクシアン(ナムコ)」と「パックマン(ナムコ)」は古めかしかったものの、「ゼビウス(ナムコ)」と「マッピー(ナムコ)」は色々と工夫が凝らされていて良かったと思います。

任天堂は「デビルワールド(任天堂)」が少し良かっただけで、後は特にこれと言ったものはありませんでした。光線銃シリーズは風変わりなだけでそれ以上のものではありませんでしたし、どのゲームも先に挙げた「ロードランナー」、「ゼビウス」、「マッピー」などと比べるとゲーム性が低く、古さを感じさせるものばかりでした。

任天堂...

1983年、1984年を見た限りでは任天堂のゲームはどれも夢中になれるような要素がなく、ゲーム性が低く、面白味の少ないものばかりのように感じられました。ゲームメーカーが任天堂だけで比較対象がなかった1983年と違い、1984年に入り他のゲームメーカーのゲームに触れた事で特にそう感じるようになりました。

ゲームは、娯楽である限りは、どうやってプレイヤーの気持ちを惹き付け夢中にさせるか、どうしたら面白く遊んでもらえるかを考えて作る事が大切だと思うのですが、もしかすると任天堂はそう言う事を念頭に置かずにただ作りたいゲームを作っているだけなのかも知れません。勘違いであって欲しいですが...そう見えてしまいます...。

ゲームのジャンル

ゲームのジャンルでは「ギャラクシアン(ナムコ)」、「ゼビウス(ナムコ)」と言ったシューティングゲーム、「F1レース(任天堂)」、「エキサイトバイク(任天堂)」と言ったレースゲーム、「アーバンチャンピオン(任天堂)」と言った対戦格闘ゲームが新たに登場しました。

この内、姫はどれも得意ではなく、どれも(得意でない事は抜きにして)あまり面白いとは感じませんでした。ですが、面白いシューティングゲーム、面白いレースゲーム、面白い対戦格闘ゲームがあればプレイしてみたいとは思いました。

画面スクロール

1983年には見られなかった画面スクロールを使ったゲームが出て来ました。

その画面スクロールにも「ロードランナー(ハドソン)」、「マッピー(ナムコ)」のような2画面任意横スクロール型、「ゼビウス(ナムコ)」のような強制縦スクロール型、「エキサイトバイク(任天堂)」のようなループ式横スクロール型と色々あるようです。

今までのゲームは全て固定画面型か画面切り替え型でしたが、この画面スクロールによってゲームの可能性が1つ広がったように感じられました。

今後のゲームに期待

1983年のゲームを終えた時点では、ゲームの可能性を信じて希望は捨てずにはいましたが、1984年のゲームに対する期待はそれほどありませんでした。そして実際に1984年のゲームには夢中になれるほどのゲームはありませんでした。

しかし、面白いゲームを作る意識に欠けていると思われる任天堂が唯一のゲームメーカーだった1983年とは違い、1984年は他のゲームメーカーが参入した事でそれまでよりも面白いと感じられるゲームが僅かながら見られるようになりましたし、1984年のゲームを終えた時点での今後のゲームに対する期待は1983年のゲームを終えた時点のものよりも大きいのは確かです。今後に期待です。

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